UC発病の経緯-6

記憶に残っているのは、Aという新人と一緒に仕事をした時にFR SUSP回りの整備をしていた時、私としては専門学校(自動車短大)を出ているのだから整備作業は問題なく出来るものと思っており、Aがやった後の確認はしていなかった。
で、結果としてAが実施した左側のサスペンションボールジョイントの締め付けが不十分の上割りピンも入れてなかった、そして整備後の車両は次工程に行き或る試験をした結果、ハンドリングに違和感を覚え点検をしたらボールジョイントが緩んでおり脱落寸前で、そのまま試験を続けていたら大事故になる恐れがあったといったような事が有り、さかのぼって調べたら私達の整備が事前にされていたと判明し大きな問題となった。
この他にはトランスアクスルのメクラ栓が走行中に脱落し、トランスアクスルからオイルが漏れ出し事故寸前等(私には覚えのない事なのだが、責任を問われた)
この時はItが作業場に来て「お前の様な者が居るから内の課は駄目だと言われる」と、大勢居る中で怒鳴りつけられるといった事が有ったり、ISIからは揚げ足を取られたり、追い詰めた其の上で更に詰問する等、正直会社に居るのが嫌になるどころかISIを半殺しの目に合わせてやろうか等考えた事も有ったのだが其の後の事を考えると其れも出来ない、といった様なジレンマの様なストレスが移転の話が出てTに統合され一緒に仕事を始めた時からあちこちで衝突とまでは行かないものの軋轢と言うか意見の食い違い、風土の違い、仕事のスタンスの違い、主任の世代交代による価値観の違い等、更には会社の経営状態の悪化から社長が外人になってからは当課(多分部門全体が)の仕事の仕方は成果至上主義となり、他人の足を引っ張って前に出るのが当然といった様々な状況が退職する3、4年前から見られ始めた。
まあ、これは人のせいにするという事ではないのだが、「思い返すとこの様な事があった、自分の言い分として書き残したい事を書いたが、立場が違えば多分こうだったのかな」等といった事を書いている訳です。
発病に至るまでの経緯として以上にまとめたのだが、この病気は遺伝ではない事は確かの様で近年日本でも発病者が多くなって来ている様子。
欧米では結構多い病気らしい。

発病に至る経緯を1〜6までに分けて書きましたが、要約するとストレスが引き金を引いて「潰瘍性大腸炎」を発病したと言う事です。
この病気の事は色々と自分なりに調べたのですが、「何で俺が!?」と言う気持ちが強く、現状を受け入れる事が出来るようになったのは発病してから1年以上も過ぎた頃からでした。
それまでは大好物だったトンカツ、カレーライス、焼肉、ビール、日本酒、ウイスキー、チョコレート等は避けなければならなくなり、2年半近くアルコール類は口にしていません、正直な所呑みたいと言う気持ちは全く無くなりました。
御蔭でと言うか、そのせいか70kgオーバーだった体重は現在58kgにまで減少し非常にスリムな体になり知らない人はスマートですね、等といわれる始末。
外見は笑って「御蔭さまで」等と心にもない返事をしてるけど、冗談じゃねーよと言いたい気持ちです。

明日から入院日記に入ります。