疎外感。

2013/9/23(月)
午前中、施設に入所中の長男(妻方の実家の)が、御彼岸なので線香を上げたいと言う事から福祉タクシーを呼んで実家まで来て貰い、更に其の車に乗って隣町まで妻が長男を迎えに行き連れて来たが、車椅子から座敷に上がるのは困難な為玄関の土間から線香を上げ、30分程募る話を母親や妻と話して、連れて来た時と逆の手順で送り返した。募る話についてだが、母親(私の義母)は補聴器無しでは会話が成り立たない状態で、長男の方は左半身が不自由な上に、若干世間ずれしている事から互いに頓珍漢な受け答えをしていた様子。此れは妻が同席していたので「こんな状況だった」と聞いたからだが、そもそも最初は「手伝う事が有れば言ってくれ」と伝えた事に対し「タクシーの運転手は介護の資格を持っているので手伝いは不要」と言う事と、来た頃を見計らって私が出向くと、かえって気を使うからと考え行かなかったと言う訳。
で、この間、運転手は車中で待機。一旦返すと帰る時に呼ぼうとしても直ぐに来る事が出来かねる、との懸念から2時間強の貸切にした様子(金額にして1万円強)。
以上の事は、義弟から昨日「初盆の時に行く事が出来なかったので、せめてお彼岸の時位は線香を上げたい」と妻に電話があり、妻は母親と話し合って今日の事が実現したと言う事なのだが、実は初盆の時は人の出入りが多いことが予想された事から、義弟の気持ちを断念させた(私ではなく、妻と義妹の二人が)と言う経緯があるが、要するに車椅子で来られると対応が大変だと言うのが最大の理由。健常者の視点と肢体不自由者の視点のズレは埋め難いものがあると言う現実。
私自身血縁者ではないので疎外感を感じてしまいます。
もう一つ、義憤と言うほどではないが、憤りを感じている事を書くと。
町から、「車椅子を座敷に上げる、又は下げる為のリフターと、専用ベッドを長期借用していた」ものを、誰の判断による物かは不明だが返却してある為に座敷に上がる事が出来ないと言う事。
施設に入っており、実家に帰る事が出来るのは盆暮れ位の物なので、リフターが玄関に置いてあると世間体が悪い、専用ベットが有ると邪魔に成る等という目先の事、世間体の事(言い方を変えると見栄っ張り)しか考える事が出来ない人が身内の中にいると言うのは不幸な事、と私は考えます。実にやりきれない悲しい思いです。