義弟が倒れてから早くも10年を経過した。

2012/12/2(日)
義弟が倒れてから早くも10年を経過した。今は義弟は左半身不随となり、車椅子の生活を余儀なくされている。此れは風呂場で倒れているのを発見するのが遅れた為で、妻が言うには駆けつけたときは裸身で、口からは嘔吐物、下半身は排泄物にまみれ身体が完全に冷え切っており、救急外来で診察した医者は「手を尽くしても植物人間、このままにすれば死亡、どうしますか?」と同席した父親に伝えたら、返事をためらっていたので、妻が(義弟の姉)後で後悔するようなら植物人間になってもいいので治療をして欲しい、と言う事になり3ヶ月以上入院治療を行い、その後県営リハビリセンターに入所してリハビリを行ったが、発見が遅かった事もあり手足の関節の動きが思うように動かせず次第に変形し始めリハビリが困難になってきたという事と、本人のやる気の問題等からセンターを退所して障害者施設に入って今日に至っている(終身)。まあ、両親が高齢と言う事もあり自宅に帰っても面倒を見ることは物理的に無理な事と、妻の実家が目と鼻の先ではあるが所用を足す用事が生じる度に妻が呼び出されるのは身内であっても迷惑と言う事から施設に入った(3週間程実家で生活していた)と言う経緯がある。脳溢血を起こしたのは前日にも書いた通り凄く冷え込んだ夜で、妻の実家は農家で、茶の間から風呂場までは10m程の距離でしかないが、茶の間はストーブをつけた上コタツにも入っていた、で、風呂に入りに行ったら室温は外と同じの寒さ(戸建の大き目の家でも居間と風呂場の温度差は大きい)、当時義弟はコンクリート製品のセールスをやっており、酒は可也飲む方でタバコもヘビースモーカーと言っていいくらい吸っていたのも原因の一つだったが、義弟の父親は耳が遠く、母親はそうでもないが性格的に障子や襖は完全に閉めておかないと気がすまないと言う事もあり、義弟は風呂場で倒れた時は意識があり、風呂場の戸を開けて木製のサンダルを投げつけて台所のガラス戸を割って知らせようとした(後で本人から聞いた話)が、先に記した通り耳が遠い上に締め切っていたので物音が聞こえなかったと言う人為的な面もあった(運が悪いと言うか、実に不幸な話ではあるのだが)。
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