4回目の入院に至る前説。

第4回目の入院に至った経緯は「2008年の10月に経済産業省から会社の設備に査察が入る為、それに対応する為の資料作りを命じられ100ページを越す資料作りを他に仕事を持ちながら可也イライラして作っていたのが引き金になった様で、この時はこの他に設備のメンテナンスやらコースのメンテナンスとか、マニュアルの見直し(OPグループが作った分のリニューアルと自分自身のパフォーマンス評価分を合わせて)等を行っており、試験路のメンテナンスの最中に急に便意をもよおす事があったり設備メンテナンス中の急な便意があったりで体調がおかしいなと感じ始めていたが、その内に1日に10数回もの下痢(食事中でも急激に起き、時には間に合わない時もあった)と強烈な排便痛と睡眠不足から予約外通院(UCの場合具合が悪くなったら何時でも通院可能)をし、即日入院となった訳でした。
尚この時はK自身から「退職間際なので遊んでいて良いとは言わないが程々に(流石に適当にとは言わなかった)して構わない」と言われていたが、これまでに退職していった人達のいい加減さには疑問を感じていたので、後ろ指を指されない様にしなければという気持ちが有り入院直前位まで仕事の流れとして
1)設備点検、メンテナンス。
2)コース管理(水位、塩分濃度、泥濃度)。
3)走行路管理(砂利補充、整地)。
4)データーベース構築(写真の管理含む)。
5)マニュアルの見直し。
6)作業場のレイアウトと不用品の整理。
7)冶工具のメンテ管理。
8)資料作り。
と以上の事をほぼ並行して行っていたのだが、事務棟でのデスクワークは大きなストレスだったと今にして思う。

注:Kとは私の直属の上司です。若い時はマルソウの特攻隊長?だったそうで?